終戦後、満州からの引揚げ船が出た港はコロ島でした。
コロ島は、中国語ではフルタオと呼ばれ、日本軍の大陸作戦が拡大するに従い
満州の大連港だけでは、兵員上陸が間に合わなくなり、急ごしらえに造った港でした。
出港のドラが鳴ると、皆 甲板に集まって来て
恨みの決別をした。
「バカヤロ-」 と叫んだ男の子 「オト-チャン-」と泣いた女の子
死んだ子供の名前を呼びながら甲板に打ち伏して、もだえる母親もいた。
江ノ島丸は、在留帰還邦人4.296名を乗せて内地に帰還途上、揚子江30キロの地点に於いて
磁気機雷と思われるものに触れて沈没したのでした。
その時、江ノ島丸の後方、1里半のところを同じ方向に進んでいた、アメリカのブリバ-ド号
約、5000トンくらいがいました。
江ノ島丸は、爆発の激動で無線機は壊れSOSの信号は発することが出来ませんでしたが
ブリバ-ド号は、江ノ島丸の遭難を知り全速力で駆けつけて来て、船長が
「お前の船は、あとどれくらい浮いているか」とメガフォンで叫びました。
江ノ島丸の船長 加藤重三郎氏は 「あと、1.2時間は浮いているから至急、船を横付けして
船客を移乗させてくれ」と、同じようにメガフェンで叫びました。
ブリバ-ド号船長は、即座に 「オ-ケ- ただちに横付けして全船客を助けてやる」と叫びました。
この「オ-ル、パッセンジャ-を助ける」 という言葉を聞いたときの感激は
私は、永久に忘れることができません。船長 加藤重三郎氏は後に語っています。
*救助の様子を何話かに分けて綴ります。