吉浜地区は元は干潟であったが、寛文元年(1661)に福山藩水野氏により干拓され陸地となった。
当初干拓地を近隣の村へ配分しようとしたが葦(よし)が生い茂る悪地であったため農民の猛反対を受け、
やむなく一村として独立させた。
葦が生い茂っている浜ということで「よしはま」と名付けられたと言われる。
菅原神社はこの干拓に伴って生まれた吉浜村の氏神として水野勝慶が創建したと伝えられ、
神体の菅原道真小像の台座に延宝3年(1675)の銘があり、この頃の創建と思われる。
現在の本殿は創建当時のものと伝えられ、
江戸時代初期の様式をよく伝えている。
参道の池には明治20年に地元の石工佐藤豊吉が築造した
県下では例を見ないアーチ式の石橋(眼鏡橋)がかかり、
5月上旬から中旬にかけて咲き乱れる数千株のカキツバタとよくマッチし、多くの参拝客を集める。