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仇討ち Ⅵ
井伊大老の、安政の大獄があり
この彦根が、薩長.土佐.水戸からあれほど憎まれていながらも
会津のような没藩もせず、白虎隊のような悲劇なくして済んだのは
鳥羽伏見の戦いが大きな功績となっていた。

官軍が徳川征伐に江戸へ向かって進軍することになった時
その道筋にあった彦根藩では、義徹をはじめ身分の低い士は
官軍に合流して、徳川を討とうと主張し
ついに官軍に呼応して徳川を攻撃することにした。

そして、義徹は中山道から江戸に迫る官軍部隊の参謀のひとりとなった。
年は、二十五歳であった。

義徹は、明治四年には、明治新政府の中軸をなす
岩倉具視、大久保利通に従って、欧米を視察したが
西郷隆盛と志を同じとし
明治十年、西郷と鹿児島に挙兵を謀議し発覚して捕らえられた。

彼が近江西郷と呼ばれたのは、その故である。
by yukarin0513 | 2007-09-04 18:11 | エッセイ
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