<   2010年 01月 ( 13 )   > この月の画像一覧
小さな春
e0086212_9172244.jpg



e0086212_9173553.jpg



e0086212_9181290.jpg



小さな春がやって来て

心にもやって来て

そよ風の頃を待つ
春爛漫を待つ

巡る季節が一層の優しさを連れて

春の香りを待っている
by yukarin0513 | 2010-01-31 09:23 |
干し大根の里
1/27撮影
この日は、快晴でした。蒼い空と飛行機雲がとても綺麗でした~


e0086212_18415350.jpg



e0086212_1842711.jpg



e0086212_18421849.jpg



e0086212_1842309.jpg



e0086212_1843193.jpg


雲ゆく空の果てに見知らぬ人が住む

人は寂しさに空を眺める

徒然に思うことは
雲に流れゆく

見果てぬ夢を乗せて
ただ流れゆく

蒼き空に
想いがひとつ

人はみんな
心の安らぎを願う

生きて行くことは平坦ではないけれど

蒼き空は変わらずに
包み込んでくれる

雲は更に白く流れゆく

彼方の空へ
巡る季節と一緒に
by yukarin0513 | 2010-01-29 18:47 | 風景
春を待つ
e0086212_915177.jpg



e0086212_92452.jpg



1/25撮影 散歩道です


野辺の花たちは

春を待つ

じっと待つ
ただ、黙って

繰り返される移ろいは

優しさと、望郷

生まれ育った、荒海は

今日も、たなびく煙を見つめている


e0086212_974879.jpg

ネットよりお借りしました。
佐賀関を象徴する風景。古いほうの煙突(1911年完成)は高さ167メートル、
1973年に完成した新煙突は高さ約200メートルであり、東洋一の大煙突と呼ばれる。

ふるさと風景です
by yukarin0513 | 2010-01-27 09:06 | 散歩道
ぬくもり
e0086212_19164577.jpg



ラブの背中にくっついているのは、むっくです ♪
これから就寝です~

e0086212_19165857.jpg

by yukarin0513 | 2010-01-21 19:21 | 小さな家族
引揚げ船 江ノ島丸 Ⅲ
その時船内には、まだ乗り移れなかった数十名の乗客と
船員のほとんどが残っていましたが、幸いのことに水深は、4、5mだったのです。

船橋の屋根の一部と、船首の一部が水面に出ていましたので
船内に残ったものは、いずれも露出した部分にとりすがって
海中に投げ出されるのを防いだのです。

ひとり船橋に留まっていた船長の足元には海水が溢れていました。

江ノ島丸から離れたブリバ-ド号は、付近に錨を入れ
ボ-トや筏を降ろして残った乗客や船員を救助に来てくれました。

日は暮れる、風は吹いてくる、救助作業は困難でしたが
江ノ島丸に残っていた人々は、この夜のうちに救われました。

ブリバ-ド号の筏に乗って、流された数名の者は
その夜、アメリカの上陸用船艇1013号によって救助されました。

江ノ島丸の乗客、船員 4296名はほとんど全員が救助されたのですが

しかし、魚雷の現場近くにいて爆死された方や
付近甲板にいて海中にはね飛ばされた方等があり
合計13名の尊い犠牲者がありました。

その後、ブリバ-ド号船内で手厚いもてなしを受けました。
その夜、船内でお産があり、女の子が生まれました。
ブリバ-ド号のエリオット船長が名づけ親となり
横山ブリバ-ド嬢と命名されました。
by yukarin0513 | 2010-01-21 19:14 | エッセイ
引揚げ船 江ノ島丸 Ⅱ
それから見事な操縦で、ブリバ-ド号が江ノ島丸に横付けしたのは、午後4時20分
機雷が爆発してから30分経っていました。

そうする間にも江ノ島丸は、船尾のほうから刻々と沈んでいきます。

救助には、女、子供が先ですが、ブリバ-ド号甲板は江ノ島丸より2m
ほど低くて、そのうえ両船の間が少し離れていたので、女 子供では到底渡れませんでした。

船長の指示で、元気の良い男性に先に飛び乗ってもらって
ブリバ-ド号船員と一緒になって、女 子供から渡し始めました。

江ノ島丸は沈むにつれて段々と低くなり、甲板が同じに位置になり
板を渡して、乗船者を送りました。

その間にも、両船の間が開いて渡り板が落ちたことが何度かありましたが
その度に、中断して危なくないように進めました。

午後4時50分
船はいよいよ沈没時間が迫ってきました。
ブリバ-ド号は、とも綱を切って船を離しました。

沈没する船にこれ以上横付けしていることは、ブリバ-ド号も危ないからです。

江ノ島丸は、すごい音を立てて船尾から沈んで行きました。
by yukarin0513 | 2010-01-20 18:29 | エッセイ
引揚げ船 江ノ島丸 Ⅰ
終戦後、満州からの引揚げ船が出た港はコロ島でした。

コロ島は、中国語ではフルタオと呼ばれ、日本軍の大陸作戦が拡大するに従い
満州の大連港だけでは、兵員上陸が間に合わなくなり、急ごしらえに造った港でした。


出港のドラが鳴ると、皆 甲板に集まって来て
恨みの決別をした。

「バカヤロ-」 と叫んだ男の子  「オト-チャン-」と泣いた女の子

死んだ子供の名前を呼びながら甲板に打ち伏して、もだえる母親もいた。

江ノ島丸は、在留帰還邦人4.296名を乗せて内地に帰還途上、揚子江30キロの地点に於いて
磁気機雷と思われるものに触れて沈没したのでした。

その時、江ノ島丸の後方、1里半のところを同じ方向に進んでいた、アメリカのブリバ-ド号
約、5000トンくらいがいました。

江ノ島丸は、爆発の激動で無線機は壊れSOSの信号は発することが出来ませんでしたが

ブリバ-ド号は、江ノ島丸の遭難を知り全速力で駆けつけて来て、船長が
「お前の船は、あとどれくらい浮いているか」とメガフォンで叫びました。

江ノ島丸の船長 加藤重三郎氏は 「あと、1.2時間は浮いているから至急、船を横付けして
船客を移乗させてくれ」と、同じようにメガフェンで叫びました。

ブリバ-ド号船長は、即座に 「オ-ケ- ただちに横付けして全船客を助けてやる」と叫びました。

この「オ-ル、パッセンジャ-を助ける」 という言葉を聞いたときの感激は
私は、永久に忘れることができません。船長 加藤重三郎氏は後に語っています。



 *救助の様子を何話かに分けて綴ります。
by yukarin0513 | 2010-01-19 16:56 | エッセイ
追悼
e0086212_1743235.jpg



e0086212_17431728.jpg



あの激震から15年になりました。
未来を絶たれた方々への無念さを思うと
いまでも言葉もありません。。。
by yukarin0513 | 2010-01-17 17:47 | 薔薇
玉島にて
円通寺公園内 観光休憩所にて
懐かしいピンク電話

e0086212_8304115.jpg


倉敷市玉島
道具たちも休憩中
e0086212_831233.jpg



e0086212_8311531.jpg



e0086212_8312730.jpg

by yukarin0513 | 2010-01-11 08:35 | スナップ
華美
e0086212_8484370.jpg



e0086212_849323.jpg




小さな春がやって来て

可憐な花は
小声で唄う

喜びも哀しみも
繰り返されて、小さな春がやって来る

貴方の心の春
思い出の春
惜別の春
出会いの春

花びらに想いを託して

去り行く日々を愛しむ
by yukarin0513 | 2010-01-10 09:03 | 薔薇